ざわめく母屋から少しばかり奥へと入れば、辺りは途端しんと静かな空気が張りつめている。ほんの小さな支城での小競り合いとは言え、戦勝は戦勝で、浮かれ騒ぐものたちはめいめいに集まって酒を飲んで騒いでみたり、報償を握りしめて夜の街明かりに柔肌を求めて消えていったりと、それぞれだ。
 湯を使った後の手ぬぐいを首に下げたまま、ほとほとと正則は外れの濡縁を歩く。湯殿でさっぱりとした身体は心地よい疲労と先程のいくさ場での高揚が残っていて、このまま酒の一杯でも引っかけて眠りに付けばさぞや良い気分であろうと、そんな塩梅だった。
 そういえばと、ふと正則は思い出す。清正の姿をまだ見かけていない。しかしながら今回のいくさで大将格の首を取られた、と言う話も聞かないし、第一清正に何かあったのならそれは真っ先に正則に耳に入ってくるはずだ。先程、湯殿帰りに偶然顔を合わせた三成にしても、相変わらずの様相で「馬鹿の割にはなかなかやったそうだな」としか言わなかった。いつも通りの憎まれ口を叩くと言うことは、何かがあったと言うことでもなく、運悪くすれ違っているだけであろうと正則は思う。
 後で酒でももって部屋ぁいってみっか、などと考えながら濡縁を進んでいた正則は、唐突にぐい、と襟首を引かれる。崩した体勢を立て直す間もなく、そのままぐいぐいと傍らの小部屋へと引きずりこまれ、力任せに引かれた襟元は、元より湯上がりでだらしなく着崩していた夜着を乱し、その上首に掛けていた手拭いは暴れた拍子にどこかへいってしまっていた。
 たん、と小気味良い音を立てて、正則の目の前で障子が閉まった。そうして後ろからぐいぐいと襟を引いていた手は少しばかり緩む。
「んだよ、誰だよ、何だよ、一体っ!!?」
たまらず叫び、肩越しに後ろを振り返れば視界の隅には白銀の髪が見える。なんだ清正かよと肩の力を抜けば、それに反応するように肩口に当たる清正の身体が強ばるのが分かった。訳が分からない。
「清正ぁ?」
 唐突な行動の意味であるとか、意図であるとか、さっぱり分からないこれらを説明してもらわなければと、正則は清正の名を呼ぶ。
 しかしやはり返事はなく、代わりに後ろから肩口に額が押しつけられたのが分かる。なんだと正則はもう一度小さく振り返ってみるが、俯いた状態の清正の表情は伺うことができず、ただ鈍く光る白銀の髪だけが視界に入った。
 気が付けば、いつの間にかするりと伸ばされた清正の手が、反対側の肩を撫でている。肩を滑って、首、喉、ゆっくりと指先があちこちを撫でる。益々訳が分からない。
「別にどこも怪我とかしてねぇぞ?」
 そう口にしてみても、やはり清正からの返事はない。ゆるりゆるりと動く指先が喉元から鎖骨を撫でて、ぞわりと瞬間背が粟立った。
 連れ込まれた部屋には灯りの一つもなく、障子越しに入ってくるぼんやりとした通路の明るさが唯一と言って光源だ。もう一度振り返ろうと、首を傾けると今度は俯いてはいなかった清正の顔が、薄闇の中ぼんやりと見えた。別人のような、見たこともないような顔をしていると、そう思う。正則はもう一度清正を呼ぼうと声を上げる。
「なあ、どしたんだ・・・っつぁ!!」
がりっと傾けた首を思い切りよく噛まれる。思わず声が上がって、正則はほとんど反射的に無体を働く相手を殴りとばした。
 とっさの行動故に手加減なしの一撃であった筈なのに、吹っ飛ばされていないのは流石清正であると言うべきか。しかしそれでもその衝撃で僅かばかり体制が離れる。じんじんと痛む噛まれた首筋を押さえて、その隙にと正則は距離をとった。殴られ切れた口元に滲む血をを手の甲で拭いながら、清正が視線を上げる。薄暗い室内でも分かるぐらいに、爛々とした視線でこちらを見ている。
 なんだこれ、おかしくねぇかと、混乱したまま正則はじりじりと清正が詰めてくる距離を少しでもあけようと後退する。まったくもっておかしい。この状況がどうにも理解できない。
 これではまるで清正が自分に欲情しているようではないか。
 正則がぐるぐる回る思考を纏めきれずにいるうちに、気が付けば背に当たるのは壁で、目の前には清正が迫っている。よく見知った顔であるはずなのに、まったく見たこともないような表情で清正はこちらを見ている。目眩がしそうな心地で、どうにも足下まで定まらない。途方にくれたままずりずりと背を壁に沿わせて僅かばかりの時間を稼いでみたが、それも角に追いやられては意味をなさない。
 角に追い込まれた正則はゆっくりと清正の手が伸びてくるのを避けることも出来ずに、身を強ばらせ、待つ。
 ゆっくりゆっくり、伸びた手が、襟を握る。
 清正がどうしてこんなことをするのか、正則はまったく分からない。いくさ場で滾った血を鎮める相手が欲しかったのなら、それこそ夜の街へと繰り出し妓朗の一人も買えばいいだけの話だ。それともそんな手間をかけるのも面倒くさかったのか。手近に通りがかった相手で手軽に済まそうと考えただけだったのか。
 なんだそれ。冗談じゃねー。
 そこまで考えて、瞬間カッっと頭に血が上る。
「たまってンなら、女んことか好きなやつんとこ行けよっつ!!!!」
 思わず叫んだ正則の声に、襟元を握っていた清正の手が止まる。叫んだ後、ぎゅうとつぶっていた目を正則はそろりそろりと開けた。すると驚くほど近くに清正の顔がある。清正は覗き込むように、正則の顔をじっと見ていた。爛々とした清正の目の中にはどこか必死な色があって、それがどうにも正則を不可思議な心地にさせる。
「俺のことが、好きか」
 この部屋に入って初めて清正は声を上げた。小さく、掠れた響きのそれは、それでもちゃんと正則の耳に届く。
 こんな状況だと言うのに、ほぼ反射的に正則はこくりと頷いてしまう。そして数瞬後に、はっとしてぶんぶん首を横に振った。
「じゃあ、いいんだ」
「へぇっ?」
 清正の言っていることが、益々分からない。そうこうしていると襟を握っていた手に力が込められて、そのまま足払いを掛けられる。どたんと、勢いのまま床に背を打ちつけて正則は呻いた。衝撃で一瞬息が止まる。身じろぐと打ちつけた背が痛い。
 そうして気が付けば、倒れた身体の上に清正がのし掛かっている。肩に置かれた手の平から感じる熱が普段より高い。
「いいんだ」
 その状態のまま、もう一度清正はそう言った。何がいいのか、どういいのか、どのように考えても正則的にはまったく良くない状況であるのにそう、清正は言う。
 はっ、と思い当たって正則は動きを止める。いい、と清正が言ってるのはもしかすると先に自分が言った、好きなやつんとこへ、の下りになのではないのか。
 なんだそれなんだそれ、って言うかそんなの今まで一度も聞いねぇ!!!!!
 混乱の極みのまま、正則は動きを止めたが、そうしたところで今更状況は変わらない。
 途方に暮れたまま、うう、と呻いて、正則は目を閉じた。




すーさんに捧げさせて頂きました!
お誕生日おめでとうございます!!続きは貴方の心の中にvv

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