※遺体表現などがあります。
ご注意ください。

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 くわ、と見開いた瞳はどろりと濁って宙を睨み、延ばされた手は何を掴むこともできず強ばったまま。地に転がされた死骸はこうしてただ土へと還っていく。恨みがましいともいえる表情を浮かべ積み上げられたそれらは、いくさの終わった後ひとところへと集められ、まだ使えると思われる武具刀剣の類を剥がれて深く掘られた穴の中へと埋葬されるのだ。
 掘られた穴の底へと転がされ、行きずりの御行坊主が適当な経をを上げる。そうして積まれたその上に、冷たい土が掛けられて、それで終わり。全てはこうして恐ろしくあっけなく終わって行く。穴の底に転がっていた男にも家族があり、待っている者の一人もいたのかもしれない。しかしそんな思いも通じることはなく、こうして終わるのだ。冷たい土の下で。
 なんということもない、ほんの小規模な小競り合いだった。味方の被害は少なく、しかしそれに比例して敵方にはいくつかの遺骸が転がることになった。
 いくさ場で出た死骸の後処理も、兵にとっては仕事の一つだ。腐った骸は流行病の元になったりもするし、近くに川でもあればその水が飲めなくなったりする。であるからいくさによって出た死人は、敵味方の別なく埋葬するのが秀吉の定めた軍内の決まり事であった。
 清正の率いる隊は今回のいくさでの後処理担当になっていた。穴を掘るのはなかなかの重労働であるし、敵とは言え、遺骸を埋葬するのはあまり気の進むことではない。配下の者たちも疲れ果てた顔をして、ただ黙々と作業進めていた。こんな嫌な仕事はさっさと終わらせて、酒と女の肌とで暖められたい。誰の表情からもそんなうんざりとした空気が読みとれる。
 辺りにはただ、静かに土の掛けられるざくざくという音が響いていた。冷たい土の感触と、その音だけが清正の耳に残って、胸の内に言葉にならない何かを詰まらせた。



 遠く、ざわめきが聞こえる。薄暗い部屋の中、妙に研ぎすまされた感覚がそれを拾い上げて、清正は目を閉じたまま大きく息を吐いた。どこか意識の一部が剥離しているような、戻ってこない現実感やそれに付随する浮遊感。いくさ場から戻ってきた時には毎度少なからず体感するそれが、今回は特に酷い。冷たい土の感覚が、どうにも指先から離れない。配下の者たちに誘われた酒宴も断って、こうして清正は薄暗闇の中、じっと息を殺す。息詰まるような、その感覚を殺す。
 ふと唐突に、会いたい、と言う感情が浮かんだ。それは衝動的な強さで、清正自身を驚かせる。
 会いたい。誰に。どうして今こんな時に。そんなの分かりきっている。笑ってしまうぐらいに簡単な理由だ。
 見上げた視線の先、薄暗い天井に向かって自嘲の笑みが浮かぶ。会いたい。顔が見たい。そうすれば自分は安心するのだろうか。抱え込んだ不安や焦燥が、癒えるのだろうか。
 思考がとりとめもなく巡る。考えてもどうにもならない事だと分かっている、理解している。それでもこうしてそれに捕らわれてしまう己はとても弱く、卑怯者なのだろう。
 ぎしり。
 ほんの僅かな物音に清正の感覚は反応した。軋んだ床板の音、そして聞き覚えのある足運び。ばたばたうるさいそれがだんだんと近付き、その上鼻歌まで聞こえてくる。間違えようもない。
 このままこの部屋に潜んでいれば、きっとあの足音は己に気付くことなく通り過ぎていってしまうだろう。
 このまま、じっとしていれば。気付くことなく。こんな弱った自分に気付かれることなく。
 声は上げない、このままでいい。そう清正は決意する。じっと息を潜めてやり過ごして、明日にはいつも通りの顔で。

 そう思っていたのに。

 何故だか、身体は勝手に清正の意志を離れて動いていた。
 引き戸を開け、そうして通り過ぎようとしていた身体をぐいと引く。驚いたような声、そしてばたばたとその身体が暴れる。構わず襟首を引いて潜んでいた部屋へと引きずり込むと、その拍子に首に掛けていた手拭いが宙をひらりと舞った。その手拭いが床へと着地するその前に、延ばした手で引き戸を閉める。
 引きずり込んだ相手は何やら喚いていたが、その言葉は清正の耳に入らない。引いた襟元からは微かに水の匂いがして、ああ湯を使った後かとそんな関係のないことばかりを思った。そして掴んだ肩のぬくみや、息使いや、そのような事ばかりに意識が向く。
 暴れていた相手はこちらの正体に気付いたのか、動きを止めて怪訝なふうにこちらを伺っている。
「清正ぁ?」
 名前を呼ばれる。酷く居心地が悪い。そうであるのにどうしてか離れがたく、清正は後ろからその肩口に顔を埋めた。息を吐く。生きている匂いがする。生きているその身体は温かかった。もっとそのぬくみを確かめたくて、肩を、首筋を喉元をなぞる。指先に当たるそれらは今まで遠かった現実感と、そうしてそれに伴って、熱に浮かされるような感覚を連れて来る。
 もう一度、名を呼ばれた。清正が俯いていた顔を上げると薄闇の中、目が合う。何かを言う為に開きかけた口を遮るように、清正は首筋に噛みついた。途端がつりと衝撃が走って身体が離れる。殴られたのだと理解する間もなく、一気に頭に血が上った。口の中には血の味と、その前に味わった肌の味が残っている。
 清正は口元に滲んだ血を拭い、相手を見た。驚いたような怯えたような、見たことのない顔をしている。こんなにも長く供にあったのに、一度も見たことがない、そんな表情だ。
 ああ、と答えが落ちてくる。もっと、見たことのない顔が、見たい。もっと、温かい身体に触れていたい。どうしてなのか。そんな事はもう分かりきっている。今更なにをどう取り繕えばいいのかも分からない。答えが落ちてくる。とても簡単なその答えが。
 清正はゆっくりと手を延ばした。指先が近付くと、相手はまるで殴られる直前のようにぎゅっと目を閉じ、身を強ばらせる。指先はするりと喉を撫でて、着乱れた襟を掴んだ。触れた指先が熱いと、清正は熱に浮かされた思考でそんな事を考える。温かいと言うことは、生きていると言うことだ。もしいつかこうして触れた肌が、冷たい土の様相になる日が来たならば。
 ぞっとするような恐怖を感じて、清正の襟を握る手が震える。いつか来るかもしれないその時を考えると、熱い指先とは対象的に腹の底が冷えた。その不安を払拭するように、震える手にもう一度力を込める。
「たまってンなら、女んことか好きなやつんとこ行けよっつ!!!!」
 ぎゅうと目を閉じたままの状態で目の前の相手はそんな事を叫ぶ。見当違いなその言葉に、少し笑いがこみ上げた。本当に今更だ。今更すぎて、何をどう答えればいいのかも分からない。だから清正は逆に問いかける。お前はどうなのか。こちらの答えなんてもう決まっているのだから。
「俺のことが、好きか」
 思わず頷いたそれを打ち消すように、ぶんぶんと必死に頭を振って居る相手を、清正は見た。勢いでも、間違いでも、もう遅い。もうそんなことはどうでもいいだろう。そう判断する。
「じゃあ、いいんだ」
「へぇっ?」
 もういいのだ。触れている肌がこんなにも熱い、きっとそれが理由でいいのだ。そんな単純なことで。きっと。
 どこか途方に暮れた表情でこちらを見上げる視線を受けて、清正はもう一度、繰り返した。




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