年賀の宴と言えば聞こえの良いそれは、ざっくばらんに言えば最終的にはただの宴会に成り果てる。まぁそれはいつものことで、予想していた通りの展開に清正は内心溜息を吐きながら、目の前の膳にある己の杯に口を付けた。
 騒がしさの中心はやはりと言うか秀吉の座る上座の周辺で、無礼講とばかりにその周りには多くの人が集まり、見事といえる早さで杯が交わされ干されてゆく。杯が干されゆく度に喧噪も大きくなり、この勢いに乗り遅れたものには苦痛と言える騒々しさだ。
 己の配分を守って杯を干していた清正はその乱痴気騒ぎには乗り遅れている。ふと横を見れば隣の席の三成も苦い顔で、上座を眺めちびりちびりと杯を舐めていた。
「お前は行かないのか」
 いつもならば真っ先に秀吉の隣へと移動していそうな三成が己の隣に居座っているのが不思議で、清正はそう尋ねる。
「あの有様な場に行ける訳なかろう」
 心底うんざりと言った様相で三成がちらりと上座に視線を向ける。つられて清正もそちらを見れば、上座ではもうすっかり出来上がった様子の正則が大声でなにやら喋り、笑い、調子っぱずれの唄まで歌いだしている。秀吉はといえば、止めるどころかこちらも真っ赤な顔をして上機嫌で手拍子やら合いの手をいれる始末。
「・・・確かにそうだ」
「だろう」
 珍しくも三成と意見が合い、清正は妙な感慨と共に杯を上げる。まぁ騒がしいもの無礼講なのもいつもの通り、日常の風景の一つだ。それにこうして溜息をつくところまで含めて。
「正則が酒を飲んで騒がしいのはいつものことだな」
「まだ今日は機嫌良く飲んでいるから、ましな方だろう」
「正則は酒飲んでりゃ大体機嫌いいだろ?」
 三成の言葉に疑問を感じ清正は問い返す。清正の記憶にある限り酒を飲んだ正則は大体は上機嫌で騒ぎ絡み、最後には寝入るのが定石だ。機嫌悪く飲んでいるところなど見たこともない。
「そうでもないぞ。この前なぞ酔って暴れ回るはで大変だったのだ」
 正則を取り押さえるのにかり出されたことを思い出したのか、迷惑な話だと三成は顔を顰める。そしてふんと鼻を鳴らし、三成にしては行儀悪く膳の上の香の物に手を伸ばして、それを口の中に放り込んだ。
「まぁもっとも貴様がそれを見ることはないだろうがな」
 あの馬鹿はお前がいればそれだけで上機嫌だからな。
 面倒くさいとばかりの口調で三成が告げた内容に清正はきょとんとしてしまう。そんな清正の目の前で、三成は膳に残る全ての香の物を手づかみで食べきり、杯をぐいと上げた。どうやら三成もそれ相応に酔ってはいるらしい。
 清正は酔って機嫌の悪い正則を見たことがない。だからそれは酒を飲めば正則の機嫌が直るのだろうと思っていたのだ。しかしそれは三成から言わせれば違うらしい。清正が居るから機嫌が良くなるのだとそう三成は言う。だから清正が酒を飲んで機嫌の悪い正則を見ることはこの先も無いだろうと。
 ほろ酔い気味の三成が言うそれが、清正はなにやらくすぐったいような気持ちにさせた。己も大分酒が回ったのかと、そう思ってみても緩む表情はどうにもならない。
 緩んだ表情のままゆっくりと杯を空けていた清正の隣、三成は唐突に立ち上がった。
「俺は戻る」
「いきなりだな」
「見ろ、頃合いだろう。このまま残って酔っぱらいの面倒を見る羽目になるのは御免だ」
 立ち上がった三成につられ見ると、上座周辺では酔いつぶれ床に転がる幾人かの姿と、座ったままぐらぐら揺れて今にも寝入りそうな秀吉、その隣で給仕の女中から借りたのか、女物の打掛を被った正則がけたけたと上機嫌で笑っている。そういえば先程まで調子っぱずれのめちゃくちゃな唄を歌いながら、その上っ張りを振り回して踊っていたように思う。被っているのは多分その時のそれだろう。
 どこからどう見ても酔っぱらいの集団としか見えないこの一団からいち早く離脱するべく、三成はすたすたと歩き始める。
「酔っぱらいどもは放っておけ。あとでおねね様が介抱してくださるだろう」
 もちろんお説教付きでな。ふんとそう言うと振り返りもせずに三成は部屋を出る。しかしそんな三成もいつもの三割り増しは行動が唐突だ。多分こいつも酔っているなと思いながら、しかし確かに頃合いだと清正も腰を浮かした。
「あーきよまさ、どこいくんだよぉ」
 退出しようとした清正をめざとく見つけたのはやはり正則だ。床に転がる酔っぱらいの屍の間をよろよろと四つん這ったまま近づいてくる。
「馬鹿、お前飲み過ぎだ」
「んなことねぇって、それよかどこいくんだってー」
 正則は打掛も被ったまま、しかも酒精が腰にきているのか上手く立てずにふらついて、どすんと尻餅をついている。しかしそんな己の様すらもおかしいのか、けたけた上機嫌に笑う。
「もういい加減にしとけ、お前も戻れ」
「きよまさもどんなら、おれももどる」
 正則は無邪気にそう言い、立ち上がろうとしてまたふらつく。仕方ないと溜息を吐いて、清正は正則の手を掴み立ち上がらせた。しかしどうにも足下がおぼつかない。肩を貸しふらつく身体を支えながら戸を引き、部屋から退出しようとする。
 清正が正則の肩越しにちらりと部屋内を覗えば、転がる屍の数はさらに増えていて、その真ん中で座ったままの秀吉が船を漕いでるのが見えた。秀吉がこの案配ではそろそろ宴もお開きだろうとそう思いながら、清正は正則を連れ部屋を後にする。
 薄暗い廊下の冷えた空気は酔いにほてった肌には心地良かった。しかし肩にはずっしりと正則の体重が乗って重いことこの上ない。しかもかなり酒臭い。
 この荷物を背負って正則の部屋へと向かうのはなかなか難儀なことだ。それよりはほど近い己の部屋で酔いを醒まさせた方がと、清正は自室へと向かう。
 自室へとたどり着くと清正は行儀悪く足で戸を開き、肩の荷物を少々乱暴に床へと落とした。床には気を利かした侍女がすでに夜具を用意しており、べしゃりと投げ出された正則はちょうどそこへと倒れ込む。
 正則は顔面からそこに倒れこんだまま、何が可笑しいのか肩を震わせて笑っている。酔っぱらいの思考はわからんと呆れながら清正も隣へ腰を下ろした。
「酔いが覚めたら自分で戻れよ」
「んー」
「ったくこの馬鹿」
「んー」
「おい、ここで寝るな」
「んー」
 ぼふりと夜具に埋まったままの正則からはどうにも眠そうな気のない返事が返ってくる。気づけば宴席で被っていた打掛もそのままに今にも寝入りそうだ。


あの馬鹿はお前がいればそれだけで上機嫌だからな。


 唐突に清正は先ほど三成が言ったその言葉を思い出した。上機嫌。そうか今この状態は上機嫌なのか。そう思えば苦かった表情も甘く緩む。
 埋まったままの正則から、ふすーと息が漏れる。本格的に寝入りそうな塩梅で、仕方ないなと清正は被ったままになっていた打掛けを取ろうと手を伸ばした。このままでは皺になってしまうであろうし、あの酒宴の場で借りたであろう侍女に返すのにそれでは都合が悪いだろう。
 だからその行動には何ら他意は無かったのだ。
 清正が打掛に手を伸ばした気配に気づいたのか、俯いたまま夜具に埋まっていた正則が横を向いた。まだ目元が赤く、酒精で涙目になる質なのか妙に潤んだ目をしている。
 何故かどきりとして清正は伸ばし掛けていた手を止めた。眠い為かぼうとした表情で正則が首を傾げる。すると散々暴れ乱れた前髪が緋色の打掛の上にばさりと落ちて、それにまた清正は焦る。何に焦っているのかと言われれば説明はできないが、とにかく不味いと焦りがこみ上げるのだ。
 部屋に入れられていた明かりが暗いことと、多分へべれけに正則が酔っているであろうことに清正は心から感謝した。でなければ今顔が赤いそのことをなんと説明すればよいものか見当もつかない。
 伸ばした手も固まったまま混乱する清正にさらに追撃が掛けられる。
「ん、なんだきよまさ、ひめはじめ、すんの?」
「ひ、姫はじめ、っっちょおま、なに、いって」
「んだ、しねえの?えんりょすんなよー」
 えええっっっ???混乱と焦りの極みに達した清正が全身を硬直させているその間に、寝ころんだままの正則が己が被っていた打掛をべりっと取ると、よいしょとその手を伸ばして清正の頭に被せた。
「やっぱきよまさにあうなー」
「え?えっ??」
「これできよまさもひめはじめだなー」
 何故かやり遂げた表情で正則はまぼふっと夜具に倒れ込む。そうして今度こそ混乱する清正をよそに安らかに寝息を立て始めた。残された清正は打掛けを被ったままただ呆然とするばかりだ。
 規則正しく正則の寝息が聞こえるようになって、そうしてようやく清正はのろのろと腕を伸ばし、被せられた打掛けをむしり取る。皺になろうがもう知ったことでない。むしりとったそれを乱暴に床へと放り投げる。なんなのだ一体。この事態がどうにも飲み込めない。
 多分。
 清正は予測を付ける。正則は「姫はじめ」を誰に吹き込まれたのかどう勘違いしたのか「その年初めて女の恰好をすること」だと思いこんでいるのだ。なんだそりゃ。有り得ない。正則の勘違いも有り得ないが、それが勘違いであったことに落胆する己はもっと有り得ない。これは一体なんなのか。
 これ以上誤魔化しきれないそれに、清正は頭を抱える。一体何時の間にこうなったのか、どうしてよりによって、正則なのか。考えても出ない答えにぐるぐると一人頭を抱える。
 頭を抱える清正の傍らからは規則正しい安らかな寝息が聞こえてくる。ちらりとそちらをみれば涎を垂らし、幸せそうな寝顔が見えた。こちらの混乱も知らずと思えば腹立だしい。しかしこうして安心しきっている姿を己に見せることは嬉しい。
 もう一度頭を抱えて清正は声にならない悲鳴を上げた。勘弁してくれ。新年早々どうしてこうなった。
 新年の夜明けを告げる朝告鳥が声を上げるまで後少し。


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