夜闇の中馬を駆る。すっかり暗くなった山道を清正は騎乗し、駆け抜けていた。
 灯りの無い夜道で馬を駆るには熟練した技術が必要だ。しかし清正は危なげなく馬を走らせて、月明かりのみの山道を進んでいた。
 長浜の秀吉より書状を預かり安土へと届け、その返書を持ち帰る。それが清正が受けた命である。清正が返書を持ち安土を出る頃には日は傾きかけており、山間の途中で日はすっかりその姿を隠していた。
 清正は馬の調子を見ながら並足駆け足を巧みに使い分け、山道を走らせる。幸いにも雲に隠れることの無い月が夜道を照らしており、視界は思ったよりも良いものだった。
 ふと馬を駆る清正の視界に光がよぎる。見れば道沿いの竹林に沿って流れる小川にちらほらと蛍の姿が見える。夜更け、ちょうど今が彼らが空へと舞う時間帯なのだろう。
 暫く馬を進めると川沿いの浅瀬に出る。ひらけたそこは見渡す一面に蛍が乱舞し、ちらちらとその淡い光が辺りを埋め瞬いていた。水面にいくつも映るその光は月明かりよりも儚く、そして美しい。

(綺麗なもんだ・・・)

 そう考えながら、清正は暫し止めていた馬足を再開させた。風を切り、光の中を駆け抜ける。漂う光は視界を横切りたちまち遠ざかってゆく。
 いい土産話ができたな。
 そう考えながら、清正は急ぎ馬を走らせて帰路を急いだ。

 清正が長浜に帰り付いたのは、子の刻も過ぎた頃だ。眠そうな顔の門兵に手を上げ合図を送るとゆっくり門は開き、そうして清正はようやっと城への帰還を果たした。
 時間が時間なだけあって、城内はやたら静かでしんとしている。長い道のりを駆けた馬を馬房へと繋ぎ、水、飼い葉を与え労う。清正自らももちろん疲労していたが、それよりも先に馬を労るのは、殆ど習い性のようになっていた。
 飼い葉をはむ馬の背を撫で、そうして清正はようやく己の身体を休めようと、与えられた自室へと足を向けた。しかし数歩、歩みを進めた処で足を止める。馬房の向かいにある母屋の濡縁を歩く、見知った人影が見えたからだ。
「こんな時間に何やってんだ」
「お!清正じゃねぇか」
 あちらから歩いてきたのは正則だ。濡縁の上から清正の姿を見つけると、躊躇いなく地面に飛び降り、こちらに駆け寄ってくる。素足のままで。
「ちょ、お前、何やってんだ」
 近寄ってきた正則は酒臭い。どうやらいい時間まで飲み明かし、酔っぱらっているようだった。
 そもそも正則の酒癖はあまり、良くない。それを知っている清正やら三成やらが近くにいる席は、そろそろ止めとけ、と止める為に大した事態にはならないのだが、どちらも不在となればどうなることかは予想も付かない。そして確か今日は三成も所用で長浜を出ている筈であった。 清正は明日明るみにでるであろう厄介事を思って思わずこめかみを押さえる。
「おい、酒の席で何もやらかしてないんだろうな」
「してねぇぜぇ〜ただなんか目が覚めたら地面で寝てたけどな」
 その程度なら許容範囲だと、清正は胸を撫で下ろす。正則と一緒に酒の席を囲んだ連中はたぶん地面どころではない場所で酔いつぶれているのかもしれなかったが、それはそれ、自己責任の範疇だ。
「安土にいってたんだろ、だから今日は清正帰ってこねぇと思ってよ。さびしーから飲んでたんだよ」
 酒臭い息を吐き、へらっと笑いながら正則が清正に告げる。裸足の足元は何ともおぼつかず、身体がふらふらと揺れる。ぐらりと大きく揺れる肩を掴んで支えてやり、ちゃんと立てよとぼやくと、何故か嬉しそうに相好を崩した。
「そういえば、帰りに蛍を見たな」
 正則を立たせながら清正が呟いた言葉に、ずりぃー、と正則が抗議の声を上げる。その拍子にまた身体がぐらりと揺れて清正に凭れ掛かる。
「あー昔、清正と二人でこっそり抜け出して蛍見にいったよなぁ。結局抜け出したのがバレて紀ぃ兄にすんげー怒られてよぉー」
「そうだな、確か蛍見ながら酒飲んで、外で寝ちまったから、蚊に喰われまくって大変だった」
 また見てぇなぁ。
 幾分呂律の怪しい口調で正則が喋り、笑う。あぁと清正が返すと、嬉しそうに頷いた。頷いた拍子にぐらぐら頭が揺れて、また体勢がふらつく。

 あ。

 ふと、素っ頓狂な声を上げて正則が清正の方へと手を伸ばした。伸ばした先は清正の頭で、急な動きに支えきれなくなった清正は、のし掛かってきた正則ごと、地面へ倒れ込む。上から乗られた所為で、とても痛い。
「おい!」
「蛍だぜ!!」
 清正を下敷きにしまたまま、正則が宙に手を伸した。伸ばしたその先をすぅと淡い光がすり抜ける。
「重い、退け」
「悪ぃ、清正の髪んとこで光ってンの見えたからよぉ」
 その蛍は群生していた場所から、清正の衣に付いてここまできたのだろう。ふわふわ漂い、ゆっくりと空を舞っている。 暫しぼんやりその光を眺めていた正則は急に、くくく、と笑いだした。清正の上に乗っかったまま、身体を丸めて笑い出す。
 最初抑えられていたそれは、最後にはゲラゲラと遠慮のない大きさ変わり、何がおかしいだ、と聞いても酔っ払いの唐突さで始まったそれは、どうにも説明の付かないものらしい。
 あきらめた清正が放っておくと、清正の肩口に額を寄せて、まだ笑い転げている。いい加減、乗っかられた膝も痛いと清正が思い出した頃合いで、正則がぴたりと笑いを止めた。
 んあーと、妙な唸り声を上げて、凭れていた正則の頭がずるずる滑る。
「ねみぃ・・・」
 おい、と清正が焦るうちに気が付けばがっちりと腰に腕が周り、膝枕の体勢だ。いい加減にしろと、声を上げようとした清正の耳になにやら、もごもごと正則の呟きが聞こえてくる。
「・・・あいつ、可哀想だ・・ひとりぼっちじゃねぇか・・よう・・・」
 いよいよ呂律の回らなくなった口調で呟かれたそれは、清正にはほんの一部しか聞き取れない。しかし聞き取れたその一部で十分だった。正則の言うそれは蛍のことだ。仲間とはぐれ、清正に付いてきたその一匹のことを言っているのだ。

 こいつは、本当に馬鹿だな。

 酔っぱらってゲラゲラ笑っていたと思ったら、次の瞬間にはこうだ。折角の蛍なのだから、綺麗だとか何とか、もっと他に言うこともあるだろうに、よりによって仲間とはぐれて可哀想、なのだ。本当に馬鹿だ、馬鹿だがやはりそれがとても、らしいとしか言えない。そして清正はそんな馬鹿が嫌ではないのだ。
 腰に腕を回し、清正の腹に顔を埋めたままの体勢で正則の寝息が聞こえてくる。鼾なんだか寝息なんだか微妙な音量のそれに清正は薄く笑い、正則の頭に手を置いた。
 そのままの体勢で見上げると、まだ蛍はふわふわ、淡い光を瞬かせ宙を漂っている。
 と、清正が見上げた視界の隅に、ちかりと別の瞬きがよぎる。馬房の方から飛び出してきたその瞬きは、見る間にこちらに近づいて、頭上の蛍の瞬きと混ざり合い、光を灯している。どうやら馬房に外して置いてあった鞍やら荷物やらにも一匹、蛍が付いて来ていたらしい。

 良かったな、一人じゃなくて。

 見上げる頭上、くるくる回る光の円舞を見ながら、もう少しの間だけだと清正はそのままその光を眺め続けた。

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