急ごしらえの陣屋は埃っぽい戦場の空気を引きずったまま、妙な熱気に満ちている。
 自軍の有利で集結した戦ではあるが、まだ状況は安心できるものではなく、いつあるかわからぬ敵軍の強襲にそなえて辺りはまだ喧騒を引きずっていた。
 清正は陣屋の隅、大きな樫の木に凭れ休息をとっていた。外れであることもあって、人気は少ない。時折視界の隅を慌ただしげに駆けてゆく伝令やらの姿が目に入るだけで、ほとんどの兵士は中央付近の炊き出しに集中しているようだった。
 愛用の片鎌槍を傍らに置き、清正は背後の樫にもたれ掛かる。先ほどまで身を置いていた戦場の喧騒がまだ身の内でぐるぐる渦巻いているようで、落ち着かない。
 埃っぽい空気、喧騒怒号悲鳴、風に混じる血と臓物の臭い泥と血の混じった臭い、地獄はまだ清正の目の裏に焼き付いたままだ。己の振るった槍が目の前の敵兵の腹を凪ぎ、血と腸をまき散らし地に沈む。返す刀でまた突き上げ凪ぐ、手足がばらばらと地に転がり、自らが作った血溜まりに身を沈めていく。手にした獲物を握った指先にまで伝わってくる命の消えゆく手応え。
 戦場に身を置くと言うことは、この高揚に身を任せると言うことだ。地獄を楽しめなければならないのだ。きっと地獄で嗤う自分は鬼に見えることだろう。そう自嘲しながら清正は己の手を見る。血と汗、泥に汚れた命を奪う手がそこにはあった。今更だ。指先が先の高揚でまだ震えいる。命を奪う高揚で震えている。
 未だ落ち着かない高揚を持て余して、清正は地面に腰を下ろしていた。凭れた背にある樫の堅さがなんとか現実感をつなぎ止めている。戦闘が終わった後はいつでもこうだった。高ぶった緊張が神経をじりじりと擦り減らしていくのだ。
 未だいくさ場の殺気を身に纏わせた清正に声を掛けるものはなく、辺りは至って静かなものだった。清正は人気の少ない周囲を見やり、そして目を閉じる。眠りはまだ訪れそうにない。視界が閉ざされた分だけ意識が冴え、周囲を探ってしまうのだ。しかしそれでも次の戦闘が何時始まるか分からない今休息は必要で、仕方なく冴えた意識のまま清正は目を閉じ身体を休めていた。
 ざく、と土を踏む音がした。目を閉じたまま清正はそちらへ意識を向ける。
 ざくざく。足音は迷いなくこちらに近付いて来ていて、清正の発する殺気じみた尖った気にも臆することはない。
 よく知ったその気配に清正は瞑っていた目を開いた。
「よお、探したぜぇ、清正あ」
 片手に握り飯を掴み、もしゃもしゃと頬ばりながら、清正の目の前には正則が立っていた。どうやら配給の握り飯を片手に清正を探していたらしい。見ればもう片手にはなにやら竹筒らしきものを持っている。
「そういえば清正はもう握り飯喰ったのかよ?」
「・・・今は欲しくない」
「・・・・そうかぁ?」
 言いながら正則は片手に持っていたそれをもしゃりと頬張った。喰わねぇと保たねぇぞ、と呟きながら最後の一口を放り込むと、ニカっと笑う。
「実はよう、握り飯よりいいモンあるんだぜ!」
 じゃじゃん!とばかりに正則が片手に持っていた竹筒を清正の目の前に翳す。ふわりとそこから香るのは酒の匂いだ。どうやらどこからか手に入れた酒を清正と分けようと、やってきたらしい。まだ戦闘終結が告げられた訳ではないここでそんなものを持っているという事は、一体どこから手に入れた代物なのか。まぁどうしたにせよ、ろくな方法で入手したものではあるまい。敵から奪ったか隠し持ってきていた部下から取り上げたか、まぁそんな所だろう。しかしそれでも戦場での酒はなかなかの貴重品だ。疲れた身体を暖めるし、眠気も誘う。普段ならば喜んで口にする所であったが、今の清正はどうにもその酒すら口にする気にならなかった。
 今はいい、と断りを口にするとたちまち正則は表情を曇らせる。
「清正、呑まねぇのかよぉ」
「おまえが飲めばいいだろ」
「折角なのによ・・・」
 しょげ返った正則が情けなく眉を寄せ、清正に食い下がる。内心悪いなと思いながら、それでも清正はこうして会話を交わしている瞬間すらも、どうにも現実感が薄かった。感覚にぼんやり膜がかかったようで、先程まで身を置いていた苛烈な世界との格差に馴染めない。
 なぜなら耳を澄ませばまだ遠く戦場の喧騒が聞こえるかのような風の音が響き、辺りには立ちこめるいくさ場の空気。肌はまだちりちりと焼けるような熱を孕んでいる。
「清正がそう言うなら仕方ねぇけどよぉ・・・んじゃまた後でな」
 あからさまに肩を落とした正則がしょんぼりと清正の元を去ろうとしたそのとき、何かに気づいたのか動きを止めた。そして座ったままだった清正の頭に手を伸ばす。
「なんか髪に汚れ付いてるぜ、ってオイ血じゃねぇかよぉ!」
 怪我でもしているのかと、焦った正則がぐいと清正の頭を鷲掴みにして引き寄せる。
「怪我はしてない、大丈夫だ」
「そうなのか?焦ったぜ〜」
 一安心したのか、正則は乱暴な動作でひっ掴んでいた頭を解放した。そうして乾いた血がへばりついた清正の髪の一房を手に取って、指先でそれをつつく。どこぞ誰かが命を散らした瞬間に浴びたそれは、それ相応のしつこさでしろがね色の清正の髪にへばりついたまま茶色く乾き、簡単にはとれそうにない。
 む、と口をへの字にして正則は固まった清正の髪を一房取り、爪先でそれを擦り落とす。無器用な手つきなのでどうにも時間が掛かかり、収まりが悪い清正はわずかに身じろぎした。正則が上体を屈めている為か、距離が近い。
 ふと近くから臭う血の香りに、清正は眉を顰めた。目の前の身体からも血の臭いが色濃くする。黒っぽい色合いの為に気付かなかったが、正則もそれ相応に血を浴び戦場を駆け回っていのだ。血と泥にまみれたいくさ場の臭いは自分からだけではなく、当然のように目の前の身体にも染み着いていた。己と同じで。

 ただ違うのは。

(汗くせぇ・・・)

 泥の臭い、血の臭い、埃っぽく、饐えたいくさ場の臭い。
 それに混じって、正則の臭いが、する。

 妙に可笑しくなって、清正は小さく肩を揺らした。
 ちくちくと無器用に引っ張られていた髪の痛みが拍子に、ぐい、と強くなる。手が滑ったのだろう。
 くく、となにやら耐えきれなくなって、清正は声を上げた。ぽす、と目の前にあった正則の腹に顔を埋める。やはり、汗臭い。きっと自分も人のことを言えた義理ではないとは思ったが、それでもこみ上げる笑いが押さえられずに、今度は清正は大きく肩を揺らした。
 遠かった現実は、たちまち近く返って来る。

「え、おっ、な、何だよ!?」
「いや別に、ただ汗くせぇって思っただけだ」

 へ?と正則が訳が分からないと言う顔をして、己の腹に凭れたままの清正を見た。旋毛しか見えない筈であるがくっくっと漏れる声で笑っているのが分かったのか、口を尖らせ反論する。
 仕方ねーだろー、フロなんかはいれねーし、とかなんとか正則が反論する声が頭上から聞こえ、清正はまた笑った。身の内で烟っていた焦燥にも似た高揚はいつの間にか去っていて、ただじんわりと指先まで温もるような心地が満ちる。日常は返って来るのだ、こうやって。つまらないことで。
 悔し紛れなのか正則がことさら乱暴にぐしゃぐしゃと清正の髪をかき混ぜ、そして手を離した。どうやら血汚れを落とすのを諦めたらしい。
「痛ぇよ、馬鹿」
 俯いたまま笑う、どうにも離れがたい気持ちを誤魔化すように、そう言って清正は顔を上げた。
 不思議そうな正則の顔が目に入る。なにが自分を浮上させたかなんて、きっと分かっちゃいないんだろう。とても馬鹿らしい、だがそれぐらいがきっと自分達には丁度良いのだ。
 やっぱり酒、よこせ。
 そう言ったら、コイツはどんな顔をするのだろう。そう思うとまたおかしく、清正は笑みを深くした。



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