境内に集められた各々の大名達は朝早い事もあって、皆一様に眠たげな目をしている。九州平定後、事後処理やなんやと留まっている諸侯と、在地の主立った大名とを集め、秀吉が開いたのが今回の茶会だ。腹を割って話すにはこれが一番との事らしい。
 寺の一室を貸し切って行われた今回の催しは、あるものには好意的に、またあるものには上方かぶれが鼻につくと、悪意をもって囁かれている。
 九州平定に尽力した清正は、当然のようにこの茶会に招かれていた。周りを見回せば見知った顔がちらほらと見える。立花家当主、立花宗茂。島津家よりは次男の義弘が家長の名代として姿を見せていた。
 義弘とその彼を実父の敵としている宗茂を同席させるなどはと、清正は眉をひそめる。しかし全ては秀吉の差配であって、彼にはどうすることもできないことだ。
 元より今回の茶会の趣旨が腹を割っての話し合い、と言う点にあるとはどうにも清正には思えなかった。平定後の領地配分やら利権の譲渡やら、大名家ごとに少しでも多くのお目こぼしを狙っているだろう。各々腹に一物あって来ているに違いないのだ。しかしそれでも秀吉様には考えあってのことだろうと、そう結論付け清正は待合いの一室で姿勢を正す。
 と、その清正の隣にするりと座る人物があった。宗茂だ。
「随分と早い時間だ、おかげでまだ眠い」
 袴の裾を優雅にさばき腰を落ち着けると、にこりと笑う。
 宗茂は幾度かの共闘を経て、幾分親しくつきあっている相手の一人だ。癖のある人物ではあるが、悪人ではないとそう清正は思っている。
「秀吉様仕切の茶会で欠伸なんぞしたら許さんぞ」
「これは怖い、肝に命じておこう」
 軽口を叩く宗茂は、同席している義弘にこれといって拘っていないように見える。清正はそのことに内心少しだけ安堵する。
 少しばかりして、待合いに入っている諸侯達に簡単な朝餉が用意された。朱塗りの膳に乗った湯づけと香の物。それらを寺の小坊主達がそそくさと運び準備している。それぞれの前に膳が並んだ頃合いで、茶室へと続く襖を開き、秀吉が顔を見せた。
「今日は皆よう来てくれた!湯づけでも喰うてもそっと待ってくれや」
 いつもの人懐っこい笑みを浮かべて秀吉が両手を広げる。こういった場を制することに掛けて秀吉は抜きんでている。待合いに通されていた諸侯の衆目は一気に秀吉に集まった。
 しかしその時に、事態は起こった。
 膳を運んでいた小坊主の一人が、それを放り投げ、急に走り出したのだ。
「猿太閤!死ね!!!」
 走り出したその手には光る白刃。
秀吉まで五間ほどの距離を小さな身体が走り抜け、当然のように清正は秀吉を守る為に立ち上がった。清正は十分に間に合っていただろう。走り抜ける子坊主が秀吉にたどり着き、その白刃を振るう前に取り押さえ、無力化することが出来ただろう。しかしそれは叶わなかった。
 清正が立ち上がるよりも早く、するりと動いたのは宗茂だった。膳の上に乗った塗り箸を手に取ると、それを投げる。ひゅ、と空気を斬る音と共にそれは真っ直ぐに不逞者へと到達する。
 どさり。
 音が響き、駆けていた身体は畳の上へと崩れ落ちる。一瞬の出来事に周りの者も何が起こったのか理解できず、場にはしんとした静寂が満ちた。瞬きをするほどの間におこったそれはあまりにも鮮やかで、誰もそれが殺戮であるとは気付かない。
 しかし清正はそれに気付いた。何故なら、畳へ倒れ伏したままの小さな身体はぴくりとも動かない。
「さすがは剛勇鎮西一じゃ!!」
 いち早く現状を理解した秀吉は殊更大きな声を上げ、衆目を集める。その間にと配下の者達は畳に転がる小さな身体を運び出していた。運び出されるその身体を清正は見る。小さな眼底には宗茂の手から投げられた塗り箸が深く刺さっていた。
 清正はぞっとする。跳び走る小さな的へとそれを投じる腕前もそうではあったが、なんの躊躇いもなくまだ幼い童姿の相手へとそれを投じることが出来るその心に。息をするように簡単に、命を奪うその手管にぞっとしたのだ。
 宗茂が冷酷鬼畜な人物ではないことを、清正は今までの交流で分かっている。変わり者ではあっても、温情も情けも知っている、そうであったはずだった。
 己の知っている姿と、先程の迷いない殺戮の姿がどうにも清正の中では繋がらない。そのことが清正を酷くすっきりしない気持ちにさせた。
 上げた視線の先では、秀吉が己の傍らへと宗茂を招き、先ほどの武勇を称えている。整った貌に涼やかな笑みを湛えたその表情は嫌になるほどに、いつもの宗茂の姿だった。



 茶会が夜になれば酒宴へと姿を変えるのはよくある話だった。上座では秀吉が上機嫌で隣に座らせた宗茂に自ら酒を注いでいる。
 朝方の一件を秀吉は宗茂の勇を称えることでうやむやしてしまうつもりなのだろう。誰の手による間者であるかと辺りをピリピリさせるよりは、褒めよ称えよと持ち上げるその方が得策であると秀吉はふんだのだ。
 自らの前に置かれた膳に乗る杯をちびりと傾け、そうして清正はまた視線を上座へと戻す。宗茂は勧められる杯を顔色一つ変えずにさらりと受け、いつものあの人を煙に巻くような物言いで秀吉を苦笑いさせている。
 いつもの変わらぬその姿を、だがしかしどこかすっきりしない思いで清正は眺めていた。
 そんな清正の前にぬっと黒い影が落とされる。視線を向ければ巨躯に不釣り合いな銚子を下げ、義弘がこちらを笑い眺めていた。
 面白がるようなその笑みをどこかむっとした心地で受け止めて、清正は義弘を見返す。益々もって面白いとばかりに口元を歪ませると、義弘はその隣に腰を落とした。そうして手にもっていた銚子を無理矢理にその杯へと注ぐ。
「坊ちゃんが気にかかると見える」
「不躾だな」
 注がれた杯を意地になってぐっと一息で飲み干す。返杯とばかりに己の手元にあった銚子を義弘の杯へと注げば、鬼はこれといった感慨もなさげに水のようにそれを干した。
「あれはああいう生き物であろうよ。情けとも情とも別の次元で、ただ身体が殺気に動く」
 くくく、と義弘の喉の奥で笑いが響く。
「無意識だというのか」
「まったく、道雪とアレは恐ろしい生きものを作ったものだ」
 空いた清正の杯にまた義弘が酒を注ぐ。手にもったそれをじぃと眺めて、そうして清正は視線を上げ、義弘をみた。
「それはあまりにもおかしいし、哀れだ」
 なぜだと問う義弘の視線に清正は黙り、言葉を探す。
「反射で人を殺すなどと、そこには相手に対する畏敬も敬意も何もない。それはもののふではなく、ただの獣だろう」
 ただの反射で絶たれた命は、しいて言うならば運悪く雷に打たれ死んだものと同じだ。戦いを挑み散ったのであれば、まだその想いも意志も残ろうが、ただ雷に打たれたのならばそれは犬死に等しい。恨みを叫び呪うそれすらも、無意味だろう。
 そこまで語った清正は、ぐっともう一度杯を干す。喉奥に染みたそれは、ひどく苦い。しかし清正が苦いと感じたそれを、義弘は自らの杯になみなみ注ぎ、旨そうに飲み干した。
「アレは刀の美しさよ。刃の上に落ちてきたものは何の遠慮もなく寸断される、ただそれだけであろう。しかしだからこそ、美しい」
 曇りひとつない刃の美しさならばこそ。そう笑い、義弘は手に持った杯を上座に座る宗茂に向けて軽く捧げ飲み干す。
 刃が曇るも曇らぬも、これから次第。口元を歪め笑い、そう義弘は語る。
 もしかするとこれはこの鬼なりの心配なのかと、そう清正は思う。その手で実の父を討ったと言うのに、その子を案じるのか。幾分不思議な心地で笑うその顔を眺めた。
 清正のそんな視線に気付いたのか、ふっと義弘は表情を消し、清正へと言う。
「下手に刃に触るれば、斬れることもあろう。気を付けることよ」
 そう告げ、立ち上がるとそのまま義弘は酒宴の席を立つ。ゆらりと動くその巨躯を眺めながら、この酒は鬼を酔わすのかとそう清正はおかしい心地になっていた。
 なるほど、自分はどうやら釘を刺されたらしい。敵は敵なりに、どうにも思う所はあるらしい。知ったそれを宗茂に伝えるかどうか迷いながら、清正は手元に残る鬼を酔わせた酒に再び口を付けた。喉を滑るそれには、先ほど感じたほどの苦みはない。自分も飲み過ぎたなと、そうひとりごちて清正は杯を置き、目を閉じた。

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