がたりと大仰な音を立てて、ひっくり返された黒漆の簡素な文箱は、確認すると端が少し欠けていた。辺りに散らばった文は言うに及ばずの状況で、改めて清正は溜息を飲み込む。端が欠けただけでまだ使うに不便はないさと、清正はなんとか己を納得させた。
 すっかり忘れていたが、思えば昔から正則には身の回りの持ち物を壊されてばかりいた気がする。矢立てしかり、文箱しかり、硯、筆しかり。お陰でどうにも良いものを持つ、という習慣が馴染まず、普及品ばかりで身の回りをそろえてしまうのだ。
 欠けた文箱の端を指先でなぞりながら、清正は改めて溜息を吐いた。そうしてその吐いた溜息が霧散する絶妙のタイミングで後ろから声が掛かる。
「せっかく茶を運んで来たのに、どう言うことだこれは」
 茶器を乗せた盆を片手に持ったまま起用に散らばった文を避けて、清正に近付くのは角兵衛だ。
 角兵衛は器用に板床の上に散らばる文を足先で退かし、場所を空けると、どっか、と茶盆を持ったままその傍らに腰を下ろした。
「忙しい家人をおもんばかって、俺自ら茶を運んだってのに、正則のやつは急に走ってでてっちまうし、ここはこんな有様だし、どうなってんだ」
 やれやれと茶盆を置いた角兵衛が当然とばかりに運んできた茶を煎れ、己の口に運ぶ。一口飲み、ふうと息を付くと、さぼる口実がなくなっちまった、と本音を呟いた。角兵衛は清正の家臣でもあるが、付き合いの長い幼なじみでもある。もちろん、正則とも親しい。顔馴染みが来たからと、それを口実に抜け出すのがこの茶運びの目的だったようだ。
「見ての通り、あの馬鹿がやらかした、ってことだ」
 現在の惨状を顎で杓り、清正が答える。
 あぁ、と納得したのか頷きながら角兵衛はまた一口茶を飲んだ。
「自慢の髪型ぐっちゃぐっちゃで、急いで走ってってたわ。あ〜あ、まぁ気張っておまえに会いに来てたってのに、気の毒に」
 気の毒にってどういう事だと、清正は非難する視線を角兵衛に向ける。
「そりゃぁ、あいつは楽したくておまえの下に就いた俺なんかと違って、それなりに考えてることもあるだろうよ。酔ったらよく言ってたぜぇ、俺は清正の隣に立ちたいんだ、って。あいつも新しいとこで色々頑張ってんだろ、そりゃおまえに色々報告したいこともあったろうよ」
 それをねぇ、あんな怒鳴られちゃ、気張ってきた分だけばつが悪かろうさなぁ、角兵衛の言葉に、う、と清正は言葉を詰まらせる。
「・・・俺だって好きで怒鳴った訳じゃねぇよ」
「へいへい」
 ずず、と角兵衛が茶を啜る音だけが、響く。きまりが悪くなって、清正は横を向いて視線をさ迷わせた。
「さっき二人して寝入ってる時は、いい感じだったのになぁ」
「!!!!」
 角兵衛の言葉にばっと清正が振り返る。見てたのかと言う言葉と殺気を視線に込めて清正が睨み付けると、へらっと笑って角兵衛はそれをかわした。
「なんか猫と間違えてんのか、おまえ寝ぼけてずっと正則の頭撫でてるし」
 見てると和むから、他のやつらにも教えてやったぞ。皆、交代で見に来てたな。
「!!!!!!!!!!!!!」
 ぐらりと清正の体が揺れて、板床に突っ伏す。ただひたすらにありえない。家人皆にして、見られていたとか、もう本気でありえない。
 突っ伏したまま、清正はひたすら顔に上がる熱を納めようと努力したが、どうにも徒労に終わりそうだった。羞恥で死ねると、本気で思う。
「まぁお前はそーゆーとこをもっと正則に見せてやるべきだよなぁ、うんうん」
 したり顔で頷く角兵衛が恨めしく、清正は突っ伏した床板の冷たさにただ脱力するしかなかった。


 


このページのトップへ ▲

▼ 前のページへ