それからの事はもう思い出すだにげんなりする。色々厄介だったとか、そういう事でなない。あまりにもするっとまるっと上手い具合に収まってしまったからだ。それにはまず第一に三成が女であったと疑っていたものがほぼ皆無であったその事が大きい。
 ちょっとまて、普通怪しむだろう。声とか!体格とか!!三成的には異論を唱えたい処は多々あったものだ。
 まずもって最初に極秘裏に訪ねた徳川の屋敷でのやりとりが、その後のすべてを物語ったと言ってもいい。
 筋を通さなければならないと、三成は正則と共に家康の元を訪れた。生きて目の前に立つ三成を見て驚いた様子もない家康に、正則は「もうこいつは俺のもんだから、戦とか関係ない!」と言う無理のある持論をぶんぶん振り回したのだ。しかし勿論そんな物に動じる相手でもない。三成はそのやりとりを見ながらただおし黙っていた。己が口を挟むことはもうないと、すべてを任せようとそう決意していたからだ。
 家康は口を開かない三成を見、そしてその隣でまるで三成を守るようにぴったりと寄り添う正則を見る。以前ならば狸めと思うその視線は、こうして見ると酷く静かなものだった。
「ではこうしましょう」
 家康は言う。本当におなごであるならば、その目付けは福島殿にお任せしましょう。しかし違うのであれば、それを許す訳にはゆきませぬ。
 家康は傍に控える忠勝になにやら耳打ちをして、忠勝の娘稲姫を呼びにゆかせる。そうして隣室にての確認を、と三成を促した。思えば忠勝に耳打ちをしたその時にはもう家康の腹は決まっていたのだろう。
 襖を一枚を隔てた隣室で、父より呼ばれことのあらましを聞かされていたであろう稲姫は、三成の前に立つと凛とした様子を崩すこともなく「失礼します」と声をあげた。そうして三成の胸へとゆっくり手を伸ばす。
 しかし。
「え?」
 稲姫の手のひらがささやかな三成の膨らみに触れると彼女は困惑の声を上げる。ふにふに。確かめるようにその手が動かされた。
「え?・・・きゃーーーーー」
 数瞬の間を置いて稲姫は叫びを上げた。その声を聞いて、隣室の襖が開く。
「何事だ稲、うろたえるでない。殿に報告をせよ」
「あ、その、いえ、確かに三成様は女性です。はい、その確かに。間違いなく」
 三成はこのやりとりだけで、家康の思惑が読めた。彼の狸はこう忠勝と稲姫に言ったのだ。三成は男であろう、だがおなごであると答えてやれ、と。であるから薄っぺらに見えても実はささやかな膨らみのある三成の胸を触って、そこにはあるはずがないと思いこんでいた稲姫は狼狽え、思わず叫んでしまったのだ。
 顔を真っ赤にして俯く稲姫を見ながら三成は幾分複雑な心境を抱えこむ。
 家康は狸である。その思いは変わらない。
 これは先のことも見据えての打算もあるのだろう。しかしもっと苛烈な方法はいくらでのあるのだから、これがこの男なりの温情なのだ。
「おなごであったのならば、先に言った通り目付けは福島殿にお任せしよう」
 稲姫の様子に首を傾げながら、そう告げる家康は多分まだ本当に三成が女であると気付いてはいないのだろう。三成は小さく家康に向かって一礼し、ここへ来てから初めて声を上げた。
「感謝する」
 しかし狸の癖に俺の性別も見抜けぬとはまったくもって。こっそりと胸の内で三成が憤慨したのは言うまでもない。





 そして三成が次に正則と共に訪ねたのは清正の処だ。
 家康の許しを得ているとは言え公に出来ないことは変わりなく、三成は女衣を着て別人として加藤家を訪ねた。
 そんな姿の三成を見て、清正は目を丸くし、照れ臭そうな正則からその後の話を聞けば、珍しくも驚いて飲んでいた茶を吹き出した。
「んだよ汚ねぇなぁ」
「・・・まったく、貴様は品がない」
「・・・いや、すまん」
 でもまぁ良かった。ぽつりとそう言って清正は複雑な表情を浮かべる。もう生きてこうして三人会うことはないだろうと、そう思っていたのだ。だからどんな形でもそれは嬉しい。しかしそれにしても、幼い頃から三人一緒だった馴染みの間柄で、二人がくっついてしまったと言うのを聞いてしまえば、やはりそれは寂しいような嬉しいような妙な心境になってしまうのも仕方ない。
「ほう、これは見事に化けたものだ」
 三人席を囲む部屋襖がたん、と小気味良い音と共に開かれる。見ればそこには加藤家に滞在している客将の姿がある。
「おい、お前なにを勝手に」
「これは美しいな。この俺もまったく気付かなかった。福島殿は果報者だ」
 清正の咎めもどこ吹く風で、飄々としたふうを崩さないのは、立花宗茂だ。客将として清正の所に厄介になっているとは聞いていたが、こうして見れば居候の身とは思えぬふてぶてしさで、清正とは随分親しくしているふうだ。そのことに少し三成はほっとする。清正は誰か手間のかかる相手に掛かりきりになるぐらいが丁度よいのだ。正則の面倒はこれから俺が見ることになるのだからと、そう至極当然のように三成は考える。己が面倒を見られるとは露ほども考えてはいないところが何ともらしい。
「言っただろう清正。大円満で締めやると」
「いやお前のお陰でもなんでもないだろうが」
 しれっと己の手柄のような顔で言う宗茂に、幾分乱暴に清正が蹴りつけた。その様子を見て正則が腹を抱えて笑っている。ああ、良かった。
 ようやく心の底からそう思うことが出来て、三成も笑った。笑い合った。




 あれからどれだけ過ぎたのか。
 三成は一人、ぱちりと扇を手繰りそう追想する。
 福島家へと迎えられ、こうして華やかな女衣を身に纏うそれが当たり前になったのはいつからだったのか。
 めまぐるしく時勢は変わり、しかし一線から退いた三成はどこか遠い視点でそれらを眺めていた。勿論請われれば意見を口にすることもある。しかしあくまで己の分をでることない。世話になっている身で、家中に意見の対立などをもたらすようなことは避けなければならないと、そう厳しく己を律してきたのだ。しかし正則がそうだからなのか、鷹揚とも言っていい福島家の家老連中はことあるごとに三成から意見を聞きたがり、いつの間にやら軍議の末席には三成の席が設けられるのが恒例となっている。その鷹揚さにどれだけ助けれてきたかと考えれば、そこには恩しかない。
 ぱちりと三成の手元で扇が音を立てる。
 手繰るそれは今ここに居ない正則が三成に渡したものだ。なんだと不審な顔をしながら渡された桐箱を開ければそこには久しく手にしてなかった戦扇の姿があった。手に取り開いてみれば扇子の全面には見覚えのある文字が踊っている。
 大一大万大吉。
 三成が正則の顔を見れば、いたずらが成功したときのような表情でこちらを覗き見ていた。
「やっぱさ、お前にはこれしかねぇなって」
「今更だろう」
「そうでもねぇぜ」
 そう言って正則は笑う。
 大阪がきな臭くなって、幕府から正則に江戸へ上がれとの命が下されたのを三成は知っている。だからこうして正則が戦扇を己に渡す意味も、分かっている。
「家のもんには、お前に従えっていってある。だからお前は俺のことなんか気にせずに好きにしてみろ」
「采配をふるうなど幾らぶりだと」
「でも出来んだろ?頭でっかちなら」
 片目を瞑り、そう懐かしい呼び方で正則が三成を呼ぶ。だから三成も思わずあの頃に戻って言ってしまったのだ。
「当然だ」
 お互いに顔を見合わせて笑う。想いはひとつ。ならなにも恐れるものはない。
 ぱちん。
 一層高い音を立てて、三成は手繰っていた戦扇を閉じ、立ち上がった。それと同時に戸板の外に三成を呼びにきた従卒が控える。
「全軍用意整いましてございます」
「よし、ではゆこう」
 ばさりと長い打ち掛けを翻し三成は歩みを進める。
「お召し替えはよろしいのですか?」
「かまわん」
 しかしこれは動きにくいな。
 従卒の言葉にふむと頷いて、三成は華やかな模様のそれを躊躇いなく裂いた。
「まぁこれで問題ない」
 思い切りのよい三成の行動になぜか笑いをかみ殺しながら、ではと従卒は軍勢の揃う先へと三成を案内してゆく。
 連れられた先には、福島家の私兵三千が居並ぶ城外だ。
「これより采を預かる!俺を信じ付いてきてくれ。共に東へ目に者みせてやろう!!」
 凛といくさ場に響く声。そしてそれに続く鬨の声。
「ではまず我らは大阪へと向かう。もちろん全速力・・・ではなく、出来うる限りゆっくりだ」
 三成の口にした方針に場にざわめきが満ちる。しかし次に口にした言葉で兵らの疑念は解けた。
「大阪へ一番近い拠点城には既に撤退せよとの命をだしてある。兵糧や火薬をすべて置いたまま、とな」
 おおなるほどと口々に感心の声が上がる。正則が江戸へ実質人質として捕らえれている今の状態では思うような動きは出来ない。しかし無理矢理に大阪へと組みするのも、江戸の言いなりとなるのも腹が治まらない。
であるからそんなもどかしさを代弁したのが、三成の示した方策だったのだ。
 早々に明け渡した城の兵糧や火薬は、そのまま大阪方の手に渡るだろう。それは表だって支援できないこちら側からの唯一と言っていい方法だ。そして出来うる限りゆっくりとした進軍。これは戦が決着を見るまでの時間稼ぎ。勝敗がどちらへ転ぼうとも言い訳が利く、そういうことだ。
 頭を人質にとられている状態での、出来る限りの策。三成の示した方策に辺りがしてやったりな愉快に満ちてゆく。
 これでいいだろう?正則。
 三成はそう心中で呟いて、馬上へと飛び乗る。
 鬨の声。響くそれを心地よく受け止めながら、三成は進軍の合図を出した。
 今出来ることを、今できるように。大切なものを、なくしてしまわないように。病に没し今はもう居ない清正が家族とよんだそれを。
 ひらりと翻る破れた上掛けは薄紅色。
 これはあの過去の日、ただ一枚を持ち逃げたあの日のものだ。
「ゆくぞ!!」
 声を上げ、三成は進みだした。これからの為に。未来の為に。


[終]

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