ぎやまんの杯に注がれた液体を宗茂は珍しげに眺めた。目の高さまで掲げて灯りに透かせば、黒っぽい色合いだと思われていたそれは、濃い緋色をしているのが分かる。
「南蛮の酒よ、珍しかろう」
「酒なのか、これは」
 興味をそそられたのか手に持った杯をしげしげと眺めたまま、宗茂が問いを返す。
「南蛮の船が交易の際に持ってきたものでな。持ってきたはいいが、家中のものは誰も手をつけん。気に入ったなら何本かもっていっていいぞ坊ちゃん」
 同じくぎやまんの杯を手に、義弘がちびりとそれを傾ける。わしは嫌いではなのだがな。しかしこう多くあっては持て余すものよ。続ける言葉にはどこか愉快が滲んでいる。
 義弘の手の中のぎやまんの杯は大柄な彼の手にやけに不釣合いで、今にも砕いてしまいそうに見えた。大槌を振るう太い指先で、しかし器用にぎやまん細工の柄を持ってちびりちびりとそれを傾ける姿はどこか滑稽だ。
 その光景を見ながら、宗茂は持っていた杯を傾ける。緋色がぎやまんの端に映ってゆらゆらと揺れている。近付けた鼻先には芳醇な果実の香り。確かめるように一度大きく息を吸い込む。鼻腔をくすぐるそれは今まで嗅いだことのないものであったが、決して不快ではない。そろりと舌を伸ばし、緋色の液体を味わう。
「どうだ、坊ちゃん」
「悪くないな」
 上機嫌といっていい表情で、義弘がこちらを伺っている。それを眺めながら宗茂は杯を傾けて緋色の液体を喉奥へと流し込んでゆく。口にしたことのないような果実の味、そして香り。なるほど確かにこの酒は人を選ぶだろう。
 暫くは差し向かったお互いがただ黙々と杯を傾けるだけの時間が続いていた。そして気付けば結構な勢いで瓶の中の酒は姿を消している。
 手元の杯から視線を上げた義弘はふと宗茂の顔を見た。顔色一つ変わっておらず、先程と変わらず黙々と杯を口元へ運んでいる。以前から弱くはないと思っていたが、それは南蛮の酒でも変わらないらしい。
「相変わらずの見目よな」
「鬼の前で不用意に酔う訳にもゆかぬ、ばりばりと頭から喰われてしまうからな」
「いいおるわ」
 くっくっと笑う。読めぬ腹をさぐり合うのもこの相手との楽しみだ。
「そういえば、この南蛮の酒はばてれんの信仰では聖なるものらしいぞ坊ちゃん」
「ほう、それは」
 ふと思い出したそれを何気なく口にして、義弘は軽く後悔をする羽目になった。目の前が人物が顔色ひとつ変えていないからと言って酔っていないという保証はなかったのだ。
 整った顔がにっこりと綺麗な笑みを浮かべる。そうして宗茂は目の前の義弘へその杯の中身をぶちまけた。
「聖なる酒は鬼を退散させるのではないかと思ってな」
 杯を持った手を揺らし、宗茂は声を上げて笑っている。一体なにが引き金になったのか全く分からない唐突さで、緋色の液体を被った義弘はただ呆然とするばかりだ。
 正面から避けることもできず被った液体が、つうと義弘のこめかみを伝う。手の甲で拭えば、血色をしたそれが肌の上で温められて一層香りが強くなった。
「血塗れの鬼とはまた珍しい、誰を喰い殺してこられたか」
 童のような表情で、笑う宗茂の手元がまた揺れる。ぽたりぽたりとその中身もまた零れ落ちてその手を汚した。
 見目はまったく変わっておらず、顔色にはなんの変化もない。しかしどうやら目の前の客人は相当に酔っぱらっているようだった。それが証拠に宗茂は義弘の前では見せたこともないような表情で、ただけたけたと笑い転げている。
 まったく南蛮の酒は恐ろしい。
 被ったそれが着流しの肩口に染みてゆく様をちらりと見遣って、あぁまた家の者に文句を言われてしまうなと、義弘はそんな事を考えた。もちろん今からすぐに染みを抜けば家人の文句も減ろうものであるが、こんな珍しい状況を中座するなどもったいない。
 肩口にやっていた視線を目前に戻せば、正面に座る客人は己の手に零れた滴を行儀悪くも舐めとっている処だ。ちろりちろりと口元から赤い舌が覗いては肌上を這う。そうしてこちらの視線に気付いた瞳は、嗤う猫の目のようにすぅと細められた。
 義弘が戯れにこちらの濡れた手を差し出せば、嗤った目のままそこにも舌を這わせる。ぬるい他人の温度が、指先を、節くれ立った間接を舐め、しゃぶる。普段では考えられない痴態で、見上げた瞳が挑発的に輝いた。
 興に乗ったのか、指先に這っていた舌はふいに離れ、今度は座り込む義弘の膝の上に乗り上がるように腕が伸ばされ引き寄せられる。緩い笑みを浮かべながら、したいようにさせていれると、今度は義弘の額に伝う赤い滴を、蓄えた髭に含まれた滴を、舌先が這い舐める。くすぐったさに義弘が目を細めると何がおかしいのか宗茂は膝の上でけらけらと笑った。
 なるほど、まったくもって南蛮の酒は恐ろしい。
 二回目のその考えが頭をよぎる。
 いやはや明日が楽しみだとそう笑いを噛み殺して、義弘はこの珍しい状況を楽しむことに集中することにした。


翌日の宗茂が生まれて初めての二日酔いを体験する羽目になるのは、まだあと少し先のことだ。







こっそりとイベントで配布した島宗ペーパーからリサイクル。

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