ばれんたいん☆でぃ

この日、なにやら校内は落ち着かない空気に包まれる。あるものはソワソワと椅子から立ったり座ったりを繰り返してみたり、またあるものは妙なハイテンションで騒いでみたり、それぞれだ。
 まぁそれも仕方がない。なんせ今日はバレンタイン、学生にとっては一大事と言っていいイベントだ。
 そんな浮ついた空気の中、彼、加藤清正は至って平常通りの日常を、至って冷静に過ごしていた。いや、ほんの少しばかりの変化はあったと言える。今までこの日を平常心で過ごす仲間の一人である幼馴染の一人が、朝靴箱を空けては溜息を吐き、帰り靴箱を開けては白い顔をして打ちひしがれていた。どうやらも貰える目算のあった相手から貰えなかったらしい。
 放課後の靴箱で目的外のチョコをざらざら紙袋に移しながら(何故か三成にチョコを渡すのは女子の間では度胸試しのような扱いになっている為やたらと数が多い)三成は大きく息を吐く。目聡く見つけた正則が、ざまぁとばかりに声を掛けた。
「んだよ頭でっかちは本命ちょこ、貰えてないのかよぉ」
「・・・・・」
 いつもの調子で言い返すかと思えば、しかしその気力もでないのか三成は白い顔のまま視線を逸らして、はぁともう一度溜息を吐いた。
 三成はどうも最近付き合いだした相手が居るらしい。朝三成の髪が寝癖でぴこぴこ跳ねていたものが、帰る頃には綺麗に整えられていたりするので、相手はまぁ面倒見が良かったりするのだろうとそう清正は思っている。
「そんなに気になるなら、相手に直接聞いてくればいいんじゃないのか」
「・・・・なんと聞けばよいのだ」
「そりゃーなんでくれねぇんだって聞いたらいいんじゃねぇの?」
 滅多に見れないレベルで落ち込んでいる三成を目の当たりにして、流石に清正、正則の胸にも哀れみの情が湧く。ごく一般的な意見を今更ではあるが口にしてやれば、俯いていた白い顔がそうか、そうだなとばかりに上向いて、ほんの僅かに血の気が戻ったようだった。
「すまんがおねね様には夜までには戻ると伝えてくれ」
 無造作にチョコが突っ込まれた紙袋を清正の手に無理矢理押付けると、三成はなにやら決意を胸に靴箱から取り出していた下穿きを仕舞い直し、もう一度上履きを履きなおした。そうしてぱたぱた軽い足音と共に校内のどこかを目指して走り去ってゆく。
 相手は学校内の誰かなのかと、そう思いながら清正は押付けられた紙袋を抱え直した。ごっそり詰まったそれはねねに渡して今日の夜チョコレートケーキへと変貌を遂げるのが恒例行事だ。
「あんな頭でっかち、初めてみんぜ・・・」
「そうだな」
 まぁ浮かれ騒ぐこの季節行事に三成も当てられた、そういうことなのだろう。羨ましいのか妬ましいのか、走り去る三成の背中に向かって顔をイーっと顔を顰めてみせる正則はどうにもまだ色恋沙汰には縁がないらしい。清正にとっては幸か不幸か。
「・・・お前は貰ってないのか」
「へ?ちょこのことかよ?いちおー貰ったぜ。甲斐と、くの一から。お返しは三倍返しねーだってよ、ちぇ」
 口を尖らせながら不満げに口にするその相手の名を聞けば、それは明らかに義理であること間違いない。清正は顔には出さずにそっと安堵する。
「清正だって貰ってんだろ、ちょこ」
「・・・ねぇよ」
 思わず口にしてしまったそれは嘘だ。本当は二つ、名前も書かれていない慎ましやかな包みが靴箱と机の中に忍ばされていた。しかし何故かそれを知られたくなくて、先程三成から渡された紙袋の中に混ぜてしまったのだ。
「んだよ〜、分けてやろうかぁ〜」
 清正に数で勝ったことが嬉しいのか、馬鹿みたいにニヤニヤ笑って正則が肩に凭れてくる。ぱしりとその手を払って清正が三倍返しはお前一人でやれよと言うと、とバレたかとまた正則はゲラゲラ愉快そうに声を上げた。
 そうしてその変わらないやり取りに清正は安堵する。去年もその前もそうだったのだ。だからこれからだって同じだと、そう思っていた。しかし今年は違う。三人でしていたこんなやり取りも、三成は想い人の処へ駆けていって居ないし、そもそも清正の心の在りようが違う。気付いてしまったのだ自らの気持ちに。しかし近すぎる距離に踏み込み方もタイミングも分からない。途方に暮れているのが現状だ。
 チョコの入った包みを揺らしながら、清正は正則と二人帰路に着いた。道すがら話すのはおねね様のチョコレートケーキが楽しみだとか、三成の相手はどんな娘なのかとか、そんな他愛もない内容だ。
 ぴゅうぴゅう吹きすさぶ風はまだまだ冷たく、清正は小さく首を竦めると冷えた手を温めようと道端にある自販機の前で立ち止まる。
 あたたか〜い、の列にあるコーヒーに指先を伸ばしたとき、ふとそれが目に入った。うん、そうだ悪くない考えだ。指先は迷いなくそれを押す。
 がたん。音と共に落ちてきたそれを拾うと後ろで清正を待つ正則にそれを投げ渡した。
「うぉっ、なんだあ?」
「間違えて押しちまった、やる」
 清正はもう一度硬貨を入れ、今度こそ自分用のホットコーヒーのボタンを押した。落ちてきた缶を拾って振り返れば、早速清正の渡した缶のプルトップに手をやる正則の姿が見える。
「やっりぃ!あんがとな清正!!」
 ニコニコ笑う正則の手にあるのは、ホットココアの缶だ。
 とりあえず今できる自分の精一杯に苦笑いを零しながら、清正は手元のほろ苦いコーヒーに口をつけた。

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