「たのもー」
 やけに表が騒がしい。読んでいた書から視線を上げ、宗茂は首を傾げた。なんとも妙だった。今日はこれと言った予定も入っていない筈で、だからこそ宗茂はこうしてゆっくりと寛いでいたのだ。
 九州平定後、急ぎ整えた立花の大阪屋敷はまだ仮のものと言って良く、公にこの場を知っているものは少ない。であるから明確な目的もなくここを訪ねるものは皆無といってよく、そうして目的あってここを訪ねるのならば、前もって先触れがあるのが定石なのだ。だからこそ表が騒がしいという事態に宗茂は首を傾げる。いずれきちんとした形で屋敷を構えればこうのんびりともしていられないだろうが、だからこそと一時の安穏をこうして宗茂は享受していたというのに。
 そうこうしているうちに、濡縁を焦り走る家人の足音が響き、宗茂はやれやれと続きを諦めて書を閉じた。
「宗茂様」
「何事だ」
「いやそれが、お客人がいらっしゃっておりまして・・・」
「?」
 なんとも煮えきらない家人の態度に、宗茂はすいと立ち上がり歩き出した。あれこれと問いただすもの面倒くさくなったのだ。己が目で確かめるのが何より早いし確実だろう。進む宗茂の後ろからあわてて家人が続く。
「お客人といいますのが、その、福島左衛門大夫殿でございまして・・・」
「福島・・・?」
 家人が戸惑いながら口にするもの仕方がない。福島正則と言えば、太閤関白殿の子飼い武将の一人だ。そして勇猛果敢との言葉はまぁ建前の有名な猪武将でもある。
 確かに九州平定で立花は秀吉側であった訳であるが、正則と宗茂には面識こそあっても
、これといった繋がりはない。まだ同じ子飼い武将の中でならば、戦で轡を並べ共闘した清正との方が親交が深いぐらいだ。
 そんな相手が何故この屋敷を尋ねてくるのか。そもそもどうやってこの場所を知ったのか。
 場所については、宗茂と親交のある清正から聞いたのかもしれないとは思う。子飼い武将の中でも特に三成正則清正の三人は幼い頃より共に育った仲であると宗茂は聞いている。であるから、清正からこの場所を聞いた、というのであればまあそれは分からないでもない。
 しかしながらそれにしても親交もない己の所へなぜ彼の人が尋ねてくるのか。宗茂からすれば、清正の話題にも良く上る人物であったので特に記憶には残っていたのだが、しかし言ってみればただそれだけの関係なのだ。
 不可思議を考え込みながら歩んでいた宗茂は、家人に促され一室の前に立つ。そうして予備動作もなしに、すぱん、と勢い良くその戸を引いた。
 室の真ん中には、落ち着かない様子であぐらをかいて座り込んでいる正則その人の姿がある。成る程こうして改めて見れば、聞いた通りだ。正則は大きな図体できょろきょろと落ち着きなくあたりを見回し、戸口に立つ宗茂に気づくとと慌てた様にかしこまって、ぴんと背筋を伸ばした。その様はまるで落ち着きのない童そのままで、宗茂の口元に思わず笑いがこみ上げる。
「何の用向きだ」
 不躾な宗茂の言葉に正則の表情にむっとした感情が露わになる。
「俺だって何も好きで来たんじゃねーよ」
 む、とへの字口のまま正則は手に持っていた包みをずいと宗茂の目の前へと突き出した。宗茂は思わず受け取ってしまったそれを見、そして正則の顔を見る。
「これは叔父貴からだ」
 あぁ成る程と宗茂は得心がいく。先日開かれた茶会で宗茂は秀吉を狙った狼藉者を片づけたのだ。これはその礼でそれを渡すための遣いが正則、と言うことなのだろう。
 包みの重みから言って名物の茶器か何かだろうなと大して興味もなさそうに当たりをつけて、宗茂はその包みを床へと置いた。
 しかしそれにしても何故正則が遣いなのか。あの場に居た訳でもなく、特別親交がある訳でもない。何か意図を含ませるにしても、この男はあまりにも単純過ぎる。太閤殿下の考えは分からんなと、宗茂は早々に思考を放棄した。
 遣いは終わったとばかりに正則がその場を立とうとすると、間が良いのか悪いのか、侍女の一人が戸の向こうから声を上げて茶を運んで来たことを告げる。浮かせた腰を仕方ないとばかりにまた落とす正則を見ながら、宗茂は入っていいと戸の向こうに声を掛けた。 かたりと控え目な音と共に、緊張した面もちの年若い娘が盆を持ち部屋へと入ってくる。見たことのない顔だなと宗茂は思い、そういえば最近新しく侍女が増えたと家人の誰かが言っていたことを思い出した。
 失礼しますと小さな声で告げ、茶を運ぶその娘へと殆ど反射で宗茂は笑みを向けた。娘の頬が鮮やかな色に染まり、緊張と不意打ちのそれに動揺した指先がつるりと茶器を滑らせる。このようなことは宗茂にとってはままあることだ。一見麗しく柔らかい宗茂の物腰にぼうっといなってしまう娘達は多いのだ。とても。
 だから今日のこの出来事も宗茂からすればそう珍しくもなく、一々目くじらをたてる程ではなかった。そう、これが宗茂一人の時であれば。年若いながらしっかりとしたその娘は、先んじて客人からと、運んできた茶を客人、用は正則の方へ渡そうとしていたのだ。当然、秀麗な笑みを向けられ震えた指先は、つるりと茶器を取り落とし、盛大に正則の頭上へ降りかからせることとなる。
「うわぁああっちぃぃぃいい!!!!!」
 煮えたぎると言う程ではないにせよ、熱せられた茶を頭上から被る羽目になった正則は叫ぶ。しかしぎゃあああと叫んだ次の瞬間に響いた水音で、その叫びは中断された。
 ぽたりぽたり、正則の頭から滴がおちる。それは先ほど被った茶ではない。
 素晴らしい反射神経で正則が茶を被った瞬間、間髪置かずに宗茂が部屋に飾ってあった花器の水を浴びせたのだ。
 沈黙が暫く流れ、そうして最初にそれを破ったのは粗相をした侍女本人であった。
「も、申し訳ありません」
 恐縮を通り越し恐怖した様相で床へ平服して、謝罪を繰り返す。正則は荒大名として有名だ。いい意味でも悪い意味でも。立腹ついでに斬り捨てられはしないかと粗相をした侍女が怯えるのも無理はなかった。しかし宗茂は清正から零れ聞いた話や、この短時間のやりとりで目の前の男がそんな人物ではない事を理解する。単純な男なのだ、良くも悪くも。童子のように己の感情に嘘がつけないだけなのだ。それがこんな世では幸せな事かどうかは置いておくにしても、宗茂は嫌いではない。きっとそれは正則の周りの人間もなのだろう。だからこの男はどこまでもこのままで居られるのだ。
「気にしなくていい。何か拭くものと着替えを」
「は、はい」
 宗茂がにこりと笑いそう言うと、顔を上げた侍女はまた少し頬を染め、もう一度だけ深く礼をして部屋を下がる。ぽたぽた滴を垂らす正則が何か言いたげな顔でこちらを見ていたが、宗茂はそれをまるっと無視することにした。
「別にそう怒ってもいないだろう」
「いや別にいーんだけどよぉ」
 この違いはなんだっつーの。ちくしょうなんかぜってーモテの秘訣があるんだろ。
 ぶつぶつ何か呟いている正則の内容を聞けば、どうやら茶を掛けられたことではなく、宗茂に頬を染めた娘の態度ほうに不満があったらしい。不満、と言うより羨ましい、と言った方が正解か。
「なんだ、福島殿はモテたいのか」
「んだよわりーかよ。っていうかモテたくないやつなんていんのかよ!」
 ふてくされて言い放つその口調が可笑しく、宗茂は笑う。
「福島殿はその衣から改めるべきだろうな」
「んなっ」
「まずもってその厳めしい格好が良くないだろう」
「そうかぁ?でも俺ぁいつもこんな感じだぜ」
「衣ひとつで人の印象は変わるものだ、ああそうだ、出入りの呉服屋がいくつか反を置いていっていたな」
 丁度手ぬぐいと着替えを持ってきていた侍女に宗茂は反物と用意していた着替えの衣を換えてくるように伝える。
「別に着替えなんてなんでもいいぜ?」
「分かってないな。反をあわせるのなら余計な色は不要だ」
「へーそんなもんか」
 これがモテの秘訣ってかー!心底感服したように呟く正則に向かって至極全うそうな顔を作りながら、内心宗茂は笑いを抑えられない。随分と素直な男だ。そして大層面白い男だ。この分では宗茂が花器の水をぶっかけたことなどすっかり忘れているのだろう。

 程なくして侍女が持ってきた白衣に着替え、正則が滴を拭い終わると宗茂はおもむろに運ばれてきた反を無造作に取り出し、ばさばさ遠慮もなくその肩へ掛けてゆく。
「な、なんだよ」
「こうやって色味を見る」
「へー」
「この色なんていいんじゃないか」
 宗茂が適当に選んだ中から、一本のそれを示すと正則はうーんと唸って首を傾ける。良いも悪いも、どうにも勝手が分からないらしい。
「分かんねえなぁ。なんかその色って清正って感じだしよう」
 確かに宗茂が示したそれは深い若草色の反だ。そういえば清正が好んで身につけている色に似ている。
「そういえば清正もいつも似たようなものばかり着ているな・・・まぁ誰が身につけるかで同じものでも印象は変わるものだ。試して見るのも悪くないだろう」
「そっかぁ?」
「そういうものだ」
 したり顔で頷けば、正則は素直に関心し尊敬の眼差しを宗茂に向けた。しかし実の処、宗茂は格別衣に思い入れがあったり洒落者であったりする訳ではない。いつも適当に与えられたものを着ているだけなのだ。講釈を垂れてはいるが、実際はそれっぽいことを口にしているだけ。用は正則に反を選ぶ、と言うこの状況を面白がっているのだ。
「ではこれで拵えよう。出来上がったら屋敷へ届けさせる」
 家人の非礼の詫びだ。気にするな。
 また無駄遣いをと咎めるであろう家臣達の苦い表情を思い浮かべながら、それをおくびにも出さずにこりと笑んでそう伝える。するとどこか感動した面持ちで正則がこちらを見つめていた。
「これがモテってやつかー」
 すげぇ!でもこれで俺もモテの仲間入りだぜ!!
 素直にそう信じ、ありがたがっている正則をみると宗茂はどうにも可笑しくてならない。しかしあくまで表情は平静を保つことに勤める。
「いやぁお前いいやつだったんだな。俺誤解してたかもしんねー」
 気づけば正則の口調はかなり打ち解けていた。最初の荒っぽいもの言いからすれば、かなり距離が近づいたと言えるだろう。ちょろいと言えばちょろい。朴訥と言えばそうであろうし、清正が言うところのただの馬鹿だと言えばそうでもある。だがまぁこんな馬鹿を宗茂は嫌いではない。見ていてとても面白いからだ。
「お前さぁいいやつなんだよな」
「そうかと言われて違うと答えるものもあまり居ないだろうな」
 突然何か確認するように正則に問いかけられ、宗茂はそう答えた。愚問だろう。自分は悪党であると公言する者もそう居まい。かく言う宗茂は己は悪党ではないと答えるのが正しいだろうとそう思っている。善人ではないだろう確実に。それぐらいは分かっている。
「お前さ、俺にこうしてモテの秘訣も教えてくれたし、良いやつなのに、なんで・・・」
 なんで茶会の時に・・・。小さくなっていった正則の語尾を拾い聞くと思っても見なかったことを指摘され、宗茂は目を見開いた。それは秀吉を狼藉者から守った件の茶会の事だろう。あの場に居なかった筈の正則は人の噂であるか、いやもしかしたらその場に居合わせた清正から聞いたのかもしれない。

 宗茂はあの席で狼藉者を退けた。それはつまり、秀吉の命を狙った暗殺者を殺した、と言うことだ。
 そう珍しいことでもなかった。その暗殺者は幼い童の姿をしていたのだ。

 生まれた時から暗殺者たるべく育てられた草の者だったのか、それとも秀吉に恨みを持っていた者だったのかそれはもう今となっては分からない。いやもしかすれば遺体を検分したであろう秀吉には何か分かったのかもしれないが、少なくとも宗茂には何一つ知るところはない。
 ただ向けられた殺気に反応し、身体が勝手に動いた。それだけだったのだ。
 習い性のようになっているそれは幼い頃からの鍛錬の賜かもしれなかったが、その歪さを宗茂本人は知らなかった。ただそうあるようにと育てられたのだから仕方がないのだ。だからこうしてどこか言いにくそうに正則が口にする事の意味がどうにも分からない。
「あの茶会がどうかしたのか」
「だって、まだガキだったんだろ・・・」
 もう今となっては遅いその事を正則は言いにくそうに言う。秀吉を守ってくれたことはありがたい。だからその口調には煮え切らず迷いが含まれている。
「意味が分からないな。例え幼子であろうとも意志を持ち刃を握ったのならば、大人となんら立場は変わらないだろう」
「叔父貴を守ってくれたことはありがてぇよ。でもやっぱそれってナンか違ぇって言うか。あーうまく言葉にできねぇけど」
 伝えられないもどかしさに正則が頭を抱える。
「甘いな。いくさ場で向かってきた敵に同じ事が言えるのか」
「でも俺はガキは殺したくねぇ」
 殺さない、ではなく殺したくない、と正則はそう言った。それは希望だ。それが叶わない願いであるかもしれないと、現実を分かっているものの言葉だ。正直なそこの言葉は、上辺だけを滑っていく綺麗事よりもよほど宗茂の胸に染みた。
「それが福島殿生き方ならば」
 ふ、と宗茂は薄く笑みを浮かべそう告げる。そう綺麗事を口にできる事は羨ましい、しかしそれを真似ようとは思わない。その宗茂の意志を読みとったのか、正則はぐ、と視線に込めていた力を抜いた。
「お前、良い奴だけど怖いやつだな」
 そんで分かんねえ奴だ。そう口にした正則の言葉を宗茂は聞く。
「新しい評価だな。覚えておこう」
 俺にとっても福島殿は分からないがな。
 宗茂の言葉を聞きならお互い様であると、そう言って正則は笑った。後を引かない性格は馬鹿たる所以なのかもしれなかったが付き合いやすいとも言える。
 床に放り出されていたままだった反を行儀悪く足で端に寄せて、宗茂はすくと立ち上がった。
「そういえば茶もまだだったな。しかしそうこうしている内に茶と言う時間でもなくなっている」
 だから酒席で分からない者同士、分かりあえるかどうか語らうと言うのは。
 宗茂の口にした「酒」と言う言葉に露骨に反応して正則は満面に喜色を浮かべた。酒を餌にすれば大体の場合は釣れる。いつだったか清正が言っていた通りだ。
 成る程扱いやすいとそう内心を隠すことなく笑みを浮かべ、宗茂は家人を呼ぶ為に戸を引いた。どれ清正の恥ずかしい過去でも聞き出してやろう。そう思えば愉快がこみ上げる。

 宗茂はまだ知らない。
 聞き及んでいた度合いを超えて、正則の酒癖が悪かった事を。そうして結局扱いきれなくなり、清正を呼び出す羽目になることを。

 太閤殿の計らいに乗ってみるのも、たまには悪くないな。
 誂えられた縁にまんまと乗った気がしなくもないが宗茂はそう思い笑んだ。それを後悔するのはもうあと少し刻と酒がすすんだ後のことだ。







正則ください!と厚かましくもお願いしたら、
COCKATIELの伊武さんからこんな素敵なものを頂いてしまいました!
見た瞬間ふぎゃああああとリアルに叫んだのは仕方ないですよね。

そして蛇足ですが素敵イラストに駄文をつけてみました。
妄想ドリフトギャンギャン。
こっそり無配で出した島宗話と繋がってたり。


そして更にこれを読んだRegen Bogenのゆみさんが清正則なおまけを!!!
ひゃっほーいwwww


おまけ



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